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Graduate School of International Development,Nagoya University
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Note: We welcome contributions by other GSID alumni to this website. Please send your messages to kouhou@gsid.nagoya-u.ac.jp .

Waldemiro Francisco Sorte Junior (DICOS, Ph.D 2009, Brazil)

  I initiated my studies at GSID in April, 2003 as a research student and continued into the Master's and Doctoral programmes. The six years I spent at GSID were highly relevant for my future professional activities as I have acquired and expanded the knowledge and skills to work and conduct research in the area of Developmental Studies. As my academic background at the undergraduate level was in the fields of Law and Business Administration, at GSID I had the first contact with concepts and theories of social development, social capital, empowerment, grassroots participation, international politics and so forth.
  Living in Japan was one of the most fruitful experiences of my life. I had the opportunity to make friends from various different countries and to get in contact with a number of diverse cultures. Moreover, I had the chance to learn a lot about the Japanese history, culture and religion. After this long period I resided in Japan, traveling around to many cities, visiting temples, shrines and castles and interacting with local people, I have certainly come to deeply respect and admire the country and its people.
  I have also greatly benefited by the extraordinary study conditions and outstanding facilities of GSID. I have learned a lot by attending the lectures and seminars with respectable, high qualified and well-prepared professors and I am certainly grateful for all their efforts in constantly making useful comments and suggestions on my assignments and reports. GSID as well as all the other graduate schools at Nagoya University provide very good study and lecture rooms and a well-equipped library with the newest and most relevant books on their fields of specialization. As a GSID student, I could have access not only to books and journals from GSID's library, but also from the Graduate School of Law, Economics, and so forth. This was of great importance for the improvement of my studies, particularly during the PhD programme, when I had to give my very best to meet the expectations of my very strict but also supportive and excellent academic adviser, Dr. Kimura Hirotsune.
  I am currently working as an Associate Researcher under the Development Innovations and Structural Transformation Policies Team of the International Policy Center for Inclusive Growth (IPC-IG), which is a UNDP thematic research institute in partnership with the Brazilian government. My research activities are mainly related to the analysis of the pharmaceutical industry in the developing world, particularly in issues regarding access to essential medication, industrial policy and Intellectual Property Rights. I am also engaged on studies related to Access to Genetic Resources and Benefit Sharing (ABS) and the promotion of productive inclusion of local communities by use of traditional knowledge and medicinal plants.
  I find my work very interesting and pleasant, not only because I have the opportunity to empirically apply the knowledge I gained to find better and innovative ways to bring better life conditions to the poor, but also because I have the opportunity to go to the field and see how things work in practice. So far, I had the chance to conduct fieldwork in a number of Brazilian private and public laboratories, state-owned research facilities, and to interview public officials, local communities' practitioners, and members of non-profit organizations. Moreover, in August 2010 I went to India and China to collect information for cross-country comparative study on the pharmaceutical industry and traditional medicine.
  I would say, therefore, for the new students now entering GSID, that they will have excellent facilities, well-equipped libraries, high-qualified professionals, and all the necessary study conditions to carry out a very good research. Furthermore, working in the field of international development can be very satisfying and rewarding. One can find not only self-fulfillment in working in a very challenging and ever changing field that offers a number of professional opportunities in diverse areas, but also the satisfying feeling of being contributing, even if in a small but continuous way, to alleviate poverty in the world.

岡田正大(国際協力専攻 前期課程修了、日本出身)

 私は、大学で国際政治を専攻しました。そこで、これまで国家をひとつの単位として考えられてきた国際社会において、地域社会やNGOなどの重要性がどんどんと高まってきていることを知りました。とりわけ、日本で地域づくりやまちおこしを担った人々の経験が途上国でとても有効に活用されていることに大変興味を持ちました。日本で地域の問題と常に直接向き合い、様々な努力をしてきたのは、基礎自治体である市町村です。住民に最も身近な行政組織として、きめの細かい活動をしてきた市町村の持つノウハウが、途上国の地域開発にとても有効に活用されています。私は、国際協力専攻(DICOS)で、こうした日本の市町村による途上国支援が継続的に行われるようになるための制度や体制づくりについて研究しました。そして、実際に市町村に足を運び、途上国への支援に携わっている方々にお会いするうちに、市町村の仕事にさらに興味をもつようになり、現在は市役所に就職して地方公務員として働いています。
 市が担う仕事は、こどもや老人の福祉などの住民サービス、保育園や小・中学校の運営、基幹道路の整備、上下水道の管理、地域振興や地場産業支援など、普段はなかなか意識されることはありませんが、いずれも地域で暮らす住民の方々の生活に直結するものばかりです。私も、現場で実際に働きながらこうした仕事の知識や経験を積み、将来はそこで得たものを途上国支援に活かしてゆきたいと思っています。
 GSIDには、OFW・DFWといった実施研修をはじめ、普段の講義でもアンケート調査やインタビューなど、実際に現場へ調査に出向き、そこで起きている問題に直接触れ、考える機会がたくさんあります。この「現地現場主義」がGSIDで研究を進めるうえで最も重要で特徴的な姿勢だと思います。また、GSIDには様々な国から、様々な経歴を持つ学生が集まってきます。お互いの考え方や価値観、生活習慣なども本当に多様です。在学中は、こうした多様な学生との公私にわたる交流を通じて、自分のものの見方や考え方を相対化し、考えをより深めることができたと思います。
 私の仕事では、どんなときも必ず現場に直行し自分の目で状況を確かめることがとても大切です。また、多様な考え方や利害関係を持つ人々の間で、粘り強く問題解決にあたることを常に求められます。GSIDで得られた経験は、仕事をはじめた今も貴重な財産として役立っています。

Atsushi Sofue (DICOS, Master's Program 2003, Japan)

2003年国際協力専攻博士前期課程修了、祖父江篤と申します。私は今、この原稿を、ハイチ派遣国際救援隊の要員として派遣されたカリブ海の島国:ドミニカ共和国で書いています。

【ハイチ派遣国際救援隊】
ハイチ派遣国際救援隊は、今年(平成22年)1月に起きたハイチ共和国での大地震を受けて、鳩山総理大臣(当時)の訓示にもあるとおり、「命を守る国、日本。まさにここにあり。」を世界に示すべく、国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)のもとで各種活動を行うために当該国へ派遣されました。
大規模な部隊派遣としては、およそ8年ぶりのPKOです。
(http://www.mod.go.jp/gsdf/news/pko/index.html)
その中で私は、ハイチで活動する本隊を支援するために、隣国ドミニカ共和国でドミニカ分遣班の渉外幹部として任務に従事しています。 現在の主な仕事は、在ドミニカ共和国日本大使館との連絡・調整や大使館を通じてのドミニカ共和国政府との活動許可や身分保障、国境通過に関するやりとり、国連やNGOとの連絡や情報収集、治安情報をはじめ各種情報の収集、ハイチ向け物資の調達、そして毎週2回陸路往復800Kmにわたるハイチへの物資輸送任務です。

【卒業後の進路】
 私は2003年に卒業後、民間企業に就職しました。民間企業に在職中の2004年、スマトラ島沖地震及びインド洋大津波で甚大な被害を受けたスマトラ島のバンダアチェで自衛隊の国際緊急援助隊が現地で活躍する姿を見て、それまで内に秘めていたGSID時代の国際貢献への想いから、民間企業を退職し、年齢制限ぎりぎりに2等陸士で入隊、その後、幹部候補生試験を経て陸上自衛隊幹部(将校)として勤務し、入隊5年目にして海外派遣要員に選抜され、念願のPKOに派遣されることとなりました。

【GSIDで学んだこと】

  1. 異文化コミュニケーション・スキル
  2. 海外異文化環境への適応力
  3. 国際開発・国際協力の視点
 まず第1に異文化コミュニケーション・スキルについてですが、GSID在学中に経験した、多くの外国人留学生たちとの交流から学んだコミュニケーション・スキルが、現在のドミニカ共和国そしてハイチで現地の人や業者との交渉、各国NGOや軍隊とのコンタクトや情報収集に、非常に有意義なかたちで生かせていることを実感しています。
 特に、本隊と遠く離れた分遣班という立場で、どうしても情報過疎・偏向になりがちな状況の中、ドミニカ共和国〜ハイチ国境地帯で各国NGOや軍隊とのコンタクトから貴重な情報を得られることができたことは、GSIDで培ったコミュニケーション・スキルのおかげであると思います。

 第2に海外異文化環境への適応力ということですが、今回の派遣隊員のおよそ7割近くが外国に出るのは初めてという状況でした。しかし、私自身はGSIDにおけるOFWへの参加や修士論文執筆のための海外でのフィールドワークといった経験から、海外派遣、特に発展途上国における厳しい生活環境への適応力といった点で、ごく自然に現地の環境に慣れることができたという点で有意義であったと思います。

 第3に、国際開発・国際協力の視点です。残念ながら、このことが、自衛隊のPKO活動の中で、また今の私の立場において直接的に役に立つということはありません。しかしながら、ハイチという被災国におけるMINUSTAHや国際機関、各国NGOの活動を傍観しながら、緊急支援から復興支援、社会インフラ整備、社会開発そして持続可能な発展へと段階的な移り変わりを概観することで、個人的に多くのことを学べているように思います。
 例えば復興支援から社会開発への移行期に起こるであろう認識のギャップの問題であるとか、非支援者のニーズと支援者のキャパシティの差の問題、そういったものを日々の業務の中で問題意識として持てるということは、何よりもGSIDで学んだ成果であると感じます。

【世界で活躍するGSID修了生】
GSIDが発足してから20年、その修了生は確実に世界中で活躍しています。ハイチそしてドミニカ共和国で出会った何人ものNGOや国際機関のメンバーの中で、直接GSIDの修了生と会う機会はありませんでしたが、「(GSID修了生の)○○さんとイラクで一緒に活動した」とか「××さんと青年海外協力隊で同期だった」とか、またGSIDの先輩の友人がハイチ大使館の専門調査委員であったりなど、GSIDの繋がりから、貴重な情報を得たり便宜を図って頂いたりといったことが実際の現場で多々ありました。これはひとえに、GSID修了生が世界中の国際開発・協力、人道支援の場で活躍し、信頼を得ている証であると思います

【GSID在学生のみなさんへ】
私の現在の勤務先である自衛隊というのは、国際開発・国際協力という点では、非常に特異な進路ではあると思います。しかし、近年、国際平和協力活動が自衛隊の本来任務となり、今後ます

ます人道支援や平和構築の現場において、類い希な自己完結能力を有する自衛隊という組織の活躍の場は広がっていくように感じています。「NGOだからできる、JICAだからできる、自衛隊だからできるとかではなくて、それぞれができることから始まって、それらが相乗効果をもって(世界のための)大きな力になるようなことができればいいよね。」平和構築分野の活動に関わってきた私の尊敬するGSIDのある先輩の言葉です。

 いつか世界の何処かの国際協力の現場でGSID修了生の皆さんとお会いできる日を楽しみにしています。  


Kanako Otsubo (DID, Master's Program 2007, Japan)

2007年に国際協力専攻博士課程前期を修了し、現在は特定非営利活動法人TICO
(http://www.tico.or.jp/)のカンボジア事務所長としてプノンペンにて勤務しています。
GSID在学中は中西久枝教授のご指導の下で、「カンボジアの農村地域の寺院コミュニティにおける仏教の役割-スヴァイリエン州チャントレイ寺の開発僧の事例から-」という題目で内発的発展論の観点から修士論文を執筆しました。

GSIDについて
在学中はカンボジアで論文のための調査を行うと同時にカンボジアで活動するNGOでのインターシップに参加し、開発の実務を垣間見る機会を得ました。また、GSIDではカンボジア人留学生のチューターを担当したり、インターナショナルレジデンスでのチューターとしてレジデンスで生活したり、GSIDの図書館でアルバイトをしたりと、私の生活は名古屋大学にどっぷりつかっていたような気がします。
留学生が多数在籍するGSID。私が所属するゼミでは日本人が2名と、スリランカ、トルコ、カンボジア、タイ、メキシコと様々な国籍の方が参加しており、非常に活発な議論が英語で繰り広げられ、大変良い刺激になりました。また、カンボジア人留学生が多数在籍していたため、カンボジアに関する研究を行っていた私にとって、研究に関する相談、人脈形成や現地でのフィールドワークに際しても非常に有用であり、恵まれた環境で研究をすることができたと思います。また、個性豊かな友人達に恵まれ、夜遅くまで開発について議論したり、共に夕食を作って食べたりと、ほとんどの時間を友人達と研究室で過ごしました。論文執筆に際しても友人達の着想や批判は、論文にも、また私自身にも計り知れないほどの貴重なものをもたらしてくれたと思います。GSIDはかけがえのない友人達に出会えることができた「場」でもありました。

NGOの仕事について
GSID卒業後は京都に位置する社団法人日本国際民間協力会の本部担当として、インドネシアでの緊急支援プロジェクトや広報、インターン育成と幅広い業務を担当しました。NGOは数少ない人数で膨大な仕事量をこなさなければならないため、「何でも屋」としてさまざまな業務を担当しました。その後、研究対象であったカンボジアの現場で開発の実務を積みたいと考え、カンボジアにおいてプロジェクトを実施する特定非営利活動法人TICOに入局し、現在に至ります。JICAの草の根パートナーシップ事業として、低所得者の人々の命を守るセーフティネット強化事業を実施しています。プノンペン市西部地区の低所得者層の人々が救急事案発生時に適切かつ最低限の救急ケアを受け、適切に転院・搬送が行われるように、以下の活動を実施しています。
①病院・診療所のための救急対応ガイドラインの作成
②医療従事者の基礎救急対応に関する知識と技術向上のための研修
③地域住民に対する初歩的な救急対応の知識の普及
とりわけ、市内のスラム地区から強制的に移住させられた住民が公正な価格で救急車や診療所へアクセスできるよう、保健省と協力し全国レベルのガイドラインの作成や村での啓蒙活動と双方向からのアプローチで事業を実施しています。

私が関わる開発プロジェクトは期間・予算があらかじめ決められた中で、PDMにそって事業を進めて成果を出すというものです。中々計画通りにいかないことも多く、助成金の枠組み上の制約もあり、悩ましいことも多々あります。現場にいればいる程、また住民の生活に関われば関わる程、分からなくなることがたくさんあります。今から思うと修士論文での短期調査では、カンボジア社会というものを深く理解できていなかったと内省していますが、開発の「現場」と「研究」の往還作業により、「開発とは何か」ということを考えることは重要な作業だと思っています。「現場で住民と一緒になって悩む」、共に学び合うプロセスが現場での醍醐味だと実感しています。


お寺の儀礼に参加する筆者(写真右)


村人へインタビューする筆者(写真左)


Mimosa Cortez-Ocampo (DICOS, Ph.D 2000, Philippines)
Professor, Institute of Development Management and Governance,
College of Public Affairs, University of the Philippines Los Banos(UPLB)

It was in 1997, already nearing my golden year, that I got admitted in the Department of Science and Technology - Japan Society for the Promotion of Science (DOST- JSPS) RONPAKU ( Dissertation PhD) program. It was (and has remained till now) a very highly competitive scholarship, which saw many academics and researchers from different universities and research institutions applying for the Fellowship. Thus, I have always been really very thankful that I was not cowed by doomsayers who thought that the prospect of my getting the scholarship was very dim. First, they thought that my being in the social sciences (considered a soft science) would give me only a very slim chance, if not , none at all to be admitted in the program. More than that, my age was also already a liability, so they said. I was told not to expect too much so as not to get frustrated.

But there is always the right time, the right place, for the right person. The Graduate School of International Development, Nagoya University, given its multi-disciplinary orientation, and particularly its field of Development Studies and International Development, was the right University, and has remained till now, my choice of University. There was this perfect fit between my discipline and my research interest with GSID’s hallmark. If I have to go through another graduate work, after all these years, I still will choose GSID as my University outside my homeland, the Philippines . And, for somebody who has “aged and wisened” in the richness of her work experience, to be back in school, gave the right timing and impetus to do well and excel . Thus, I obtained my PhD from GSID within the three-year period as planned. As then Dean Osada said during our graduation ceremonies at the 8th floor, I was the first RONPAKU Fellow to graduate at GSID, even while many had started with the program earlier, or ahead of me. This is the nice thing with being “mature” and rushing and competing with time.

How useful have been my learnings at GSID? My Dissertation on”Grameen Bank Replications in the Philippines and Women Empowerment: The Cases of Landless People’s Development Fund and Project Dungganon”, literally and figuratively brought me to many further research engagements, as speaker in seminars and trainings, and writer/critic on related publications. My PhD in Development Studies has earned me the privilege to write and talk on a diverse wide spectrum of development topics, other than Gender and microfinance, such as Crises Prevention and Conflict Resolution, Local Government and NGOs’ Capacity Building, Migration, Change Management, Rural Development, On-line Tutoring, Enterprise Development etc. A book, “ Barangay Leadership” authored by me was published by UP Open University for use in one of its curricular programs. My multi-cultural exposure at GSID and experience in the conduct of overseas field work has made me an effective and highly sought coordinator of many study tour programs/ field work for varied international organizations and groups.

Moreover, I have continuously sustained my linkages with the Center for Agriculture and Rural Development –Mutually Reinforcing Institutions (CARD-MRI) one of the case-organizations in my GSID dissertation and a Ramon Magsaysay Awardee for Public Service in 2008. This has allowed me to be involved in the conduct of their in-house researches and development of training modules for their various client groups. I became the Focus Group Moderator/Researcher for “ Impact of CARD’s Credit with Education Program on the Business of Client Groups”, a program funded by Freedom for Hunger in 2007; as Philippines Focus Group Moderator on “Credit with Education on Economic Security and Reproductive Health” for the Microcredit Summit Campaign of Washington, USA in 2006. I also became the first Professorial Chair Holder of CARD-MRI (2008-2009) in UPLB, and presented a research-based professorial lecture entitled, “Post-Disaster Coping Mechanisms and the Role of Women and Children: Practices and Interventions”. The research paper which is being published by CARD-MRI and UPLB dwells on the socio-psychological effects of disaster and the role of microfinance in helping women and their families recover from the disaster. It is based on a research conducted in disaster-stricken areas of Albay Province, Bicol Region, after it was seriously hit by Typhoon Reming in 2006. This CARD_MRI Professorial Chair, is my third after my first and second Professorial Chair Awards from Metro Manila Commission in 2002 and 2004, respectively.

When the RONPAKU Fellows/Grantees in the Philippines were organized in 2006, as Philippine Society of JSPS RONPAKU Fellows, I became its Press Relations Officer- emceeing Scientific Fora/Symposia and putting up its maiden issue of newsletter, PRF Connect. To date, I have remained in the Board of Directors of the Association. I also presented a research paper, “Impact of Credit with Education on the Business Development of Women Members of CARD-MRI” in one of its Scientific Fora held in SEAFDEC, Iloilo City, December 2007.

All these involvements after my graduation at GSID, undoubtedly, enabled me to contribute to research productivity (knowledge generation), extension (knowledge utilization), capacity building/professional development, networking and resource generation.

I thought then that my graduation in 2000 would have been already my Sayonara to GSID and Japan.. But thanks to the Agreement for Academic Exchange and Cooperation between Nagoya University and the University of the Philippines Los Banos, I was able to go back to GSID in 2001 to participate and present a paper, on a collaborative research “ Poverty Alleviation in the Context of Decentralization” led by my adviser and Host Scientist, Dr. Hirotsune Kimura. Even after this, I have been very privileged to have been able to go back to GSID in several more occasions: as Visiting Research Fellow in April- September 2004; as Speaker before the Filipino community in Nagoya, on the Ravages of Typhoon Milenyo in UP Los Banos, in 2006; and upon invitation by Dr. Hisae Nakanishi, as speaker/moderator on the International Workshop and Symposium for Promoting Education for Sustainable Development in 2008.

Coming back to GSID and Nagoya is always like coming home...Home, after all, transcends biological relations and roots, and physical space. Being home is feeling safe, secure and cared for, where one has a sense of belonging as well as accountability to cherish and to hold. I have made a lot of friends, almost like my extended family with former students, and colleagues in GSID... Thus, GSID, Nagoya University has already become like a home to me. I must admit, the yearning to go back to my second home- GSID, Nagoya University- is very strong... I hope that in this interesting stage, three years before the so called compulsory retirement from government service, I would still have the chance to be back at GSID.


Yuko Nishiguchi (DICOS, Master's Program 2006, Japan)

はじめまして。
2006年にGSIDの博士前期課程を修了した西口祐子といいます。修了後は、中部地域のネットワーク組織である名古屋NGOセンターにて、開発教育や政策提言の担当として2年間務めました。この間、ユニセフ・バンダアチェ事務所Planning Monitoring Evaluation Sectionでのインターンシップも経験しました。2008年より、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンにて勤務し、日本国内の子どもたちのための教育事業を担当しています。

セーブ・ザ・チルドレンとは?
セーブ・ザ・チルドレンは、1919年、第一次世界大戦下のイギリスにて設立されました。国連から公式に認定された子ども支援のための国際NGOです。現在、世界27カ国の独立したメンバーがパートナーを組み、国連子どもの権利条約を理念に、約120カ国で教育や保健医療、緊急支援などの活動を展開しています。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、1986年に設立され、ネパール、ベトナム、ミャンマーなどの国々で活動を展開しています。2003年より、日本の子どもたちのための教育事業Speaking Outが開始されました。

http://www.savechildren.or.jp/

子どもたちをすべての活動の中心に
セーブ・ザ・チルドレンのビジョンには、「子どもの声を聴き、そこから学ぶ社会」が掲げられています。国際開発において住民参加は重要な概念ですが、国連子どもの権利条約においても、子どもの声を聴き、尊重すること、つまり、子どもの参加を推進することが、原則の一つとして位置づけられています。私たち、セーブ・ザ・チルドレンは、国内/海外のいずれにおいても、子どもたち一人ひとりを尊重する活動を大切にしています。

国際NGOでの仕事
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンで務めるスタッフは、民間企業で営業や広報一筋だった人、国内で子ども支援に従事してきた人、開発を学び援助機関で務めてきた人など、非常に多様です。また、セーブ・ザ・チルドレン世界連盟のスタッフと協力して仕事を進めることも求められます。このようにさまざまな背景を持つ人が、それぞれの専門性や個性を活かしながら、組織のゴールに向かっていることも、セーブ・ザ・チルドレンの強みだと思っています。

GSIDで学んだこと
しかし、セーブ・ザ・チルドレンのミッションを達成すること=すべての子どもの権利を実現すること、は、容易いことではなく、常に困難がつきまといます。そんなとき、GSIDでの経験は、大きな力になっています。国際開発の基礎を理論と実践をつなぎながら学ぶことができたこと、トライ&エラーを繰り返しながら研究対象に向き合おうとしたこと、そして何より、素晴らしい先生方、友人との出会い。つい一週間前にも、カウンターパートからの電話に出たら、その方がGSIDの先輩だったということがありました。このようにGSIDで学んだことや出会いを大切にしながら、自分が何のために仕事をしているのか忘れずに、毎日を進みたいと思っています。

Sholihatun Kiptiyah (DICOS, Master's Program 2007, Indonesia)

I stepped my feet on GSID ground for the first time on the beginning of April 2005 as a DICOS Master course student. My arrival in GSID is part of ADB-JSP Program.

For the first two weeks, I was having difficulties in adjusting myself with Japan. A shock culture, perhaps. For sure, I could easily adjusted myself toward GSID's environment. I attended some classes, then decided those which suited to my preferences. To be honest, GSID's course is could be said 80% similar to my undergraduate course. Moreover, as GSID's student, my status was on leave officer from Commission For The Supervision of Business Competition (KPPU), Republic of Indonesia. Therefore, I experienced both theoretical and practical matters. Those experiences helped me in understanding and mangling with GSID's life.

During my time in GSID, I learned about many things. International development in the real meaning should be an applicable thing. Based on that idea, I was spreading my “wings” by start learning issues that beyond my “specialty” as written in my proposal when applying to GSID. In this case, GSID gave me a great opportunity to mangle, learn and understand cultural adjustment, and development issues from all over the world. Its understandable due to the reality that GSID is consisted of more than 50% international students.

As I mentioned above regarding to international development, I was participating in some activities organized by students such as Tsunami Actions, Inseikai, including experienced the Japanese “culture” and “pop culture”. I considered myself as an open mind person, therefore, when dealing with the diversity of GSID, it was easy for me to adjust myself toward many ideas, activities, and thought. Of course some disputes my occurred among students when it came to ideas and thought. However, since the “clear view” I had in GSID, I was able to enter a warm and scientific discussion to solve disputes.

I graduated in 2007. Then, I went back to Indonesia to start working in previous office. I resumed my previous position Inter-Institutional Cooperations division. After a while, I was transferred to KPPU Regional Office in Surabaya. I was appointed to become Head of Regional Office, and responsible for four provinces as my jurisdictions, which are East Java, Nusa Tenggara Barat (NTB), Nusa Tenggara Timur (NTT) and Bali.

Then, what did I learned from GSID ?. I should say ; knowledge, friendship and family. The professors and GSID's environment always made me able to learn and gain some understanding on issues occurred in so called international development field. Adding the plus points, the relationship I built among friends resulting a relationship as in “family” ties. Its common that GSID alumni made this kind of closed friendship. Though we were separated by distances, the friendship we have always be tied tightly.

 

KIMURA Hitomi (DICOS, Master's Program 2002, Japan)

加藤久和教授の指導のもと国際環境法政策について研究し、「Introducing A UK Climate Change Levy into Japan: Problems and Prospects(イギリスの気候変動税の日本への導入:課題と展望)」 に関する論文を提出し、修士号を取得しました。在学中は、大学での研究のほか、循環型社会研究会など外部の勉強会や、海外実地研修(OFW)の一環でフィリピンの水問題に関する現地調査に参加したりしました。また、JICA企画評価部(当時)でのインターンプログラムに参加し、国連気候変動枠組条約第6回締約国会議(COP6)準備会合に向けたプロセスの一環で外務省、環境省、JBICなど関連各省との会議に参加させて頂いたり、国際環境協力に関するレポート作成などを行いました。当時はまだインターンシップ制度への参加はそれほど一般的ではありませんでしたが、終了後、GSIDのインターンシップの制度化のためのお手伝いを依頼され、自身がその第一号となったのは懐かしい思い出になっています。

修士課程修了後は、(株)UFJ総合研究所(旧(株)三和総合研究所、現三菱UFJリサーチ&コンサルティング(株))に入社し、東京経営戦略本部マネジメントシステム部、国際本部政策研究部で、企業の環境経営コンサルティング、環境法・政策の調査・立案はじめ、外交・援助政策の評価、立法調査、ASEAN諸国のWTO協定履行支援等、国内外での委託調査・コンサルティングに従事しました。その後、2004年7月から地球環境戦略研究機関(IGES)の研究員として勤務しています。

IGESでは、環境法、国際環境法の専門を生かし、京都議定書、気候変動に係る2013年以降の将来枠組み、アメリカ・EU・イギリスの気候政策および法的枠組み、京都メカニズム、日本の国内法政策制度、アジアにおける持続可能な開発と将来枠組み等を担当し、環境省はじめ、国際機関や各国環境省、国内外の研究機関や大学との共同研究や発表のほか、国際会議の企画・運営、環境教育・各種研修(国の推進員研修・自治体の市民講座)、大学での講義にも携わっています。IGESにおける学際的かつ実践的な戦略研究のほか、国内外における学会での研究発表も行っています。アジアを中心とする外国籍のスタッフも多く在籍するIGESの同僚や、国際共同研究を行っているヨーロッパ、アメリカの研究者とも一緒に、日々、気候変動に関する新たな国際枠組みの形成に役立つべく、充実した日々を送っています。

NANDANG RAHMAT (DICOM, Ph.D 2000, Indonesia)

2000年3月に博士号を取得したインドネシアのナンダン・ラフマットです。藤村逸子教授、藤原雅憲教授、田島毓堂教授のご指導のもとで『日本語との対照におけるインドネシア語のアスペクト表現(副題省略)』という題目で学位論文を提出しました。入学当初、言語学のコンセプト、研究手法等の知識が不十分であったため、4年もかけて博士課程を修了しました。勉学当時母国ではすでに国家公務員として、パジャジャラン大学日本語日本文学科の教師として教壇に立っていました。勉学期間中は休職扱いになっていました。どうして4年間も休職扱いにしてもらえたかというと、インドネシアでは、大学教員の資質向上の目的で、大学院への進学を推奨する制度があるからです。

GSIDでは、すばらしい学問環境に加え、充実した施設、院生仲間との有意義な交流があり、こういった環境の下で勉学ができたことを常に誇りに思い、感謝しています。

博士課程終了後は日本語教育現場に戻り、日本語や日本語学関係科目の授業を持つ傍ら、大学院日本語学専攻修士課程の開設、その後の博士課程の開設などに努力しました。その間、現在に至るまで、日本語日本文学科の学科長を務めています。また、2005年にはインドネシア日本語教育学会会長に選出され、インドネシアの日本語教育界全体にもかかわるようになりました。ありがたいことには2008年に、インドネシアにおける日本語教育・日本語学研究に対するこれまでの貢献を認められ、日本国外務大臣表彰を受賞いたしました。

インドネシアの今後の日本語教育・日本語学研究の課題としては、研究者としての研究の姿勢(研究の質も含む)がまだ確立していないということです。2008年には、パジャジャラン大学日本語研究センター所長に選任されたこともあり、インドネシアの日本語学研究の発展にも微力ながら力を尽くしていきたいと思っております。

KINJO Morihiko (DID, Ph.D 1998, Japan)

1998年6月に国際開発専攻を修了した金城盛彦と申します.「地球温暖化抑制策としての国際協力の費用・便益分析 −動学的な多部門一般均衡(CGE)モデルによる日中協力の経済的評価−」のタイトルで学位論文を書きました.出身地でもあり,国内の開発対象ともいえる沖縄の振興策を学ぶ私が国の枠を超え開発問題に関心をもったのは学部生の頃でした.その後,他大学の修士課程で国際関係論等を学ぶも,本格的に開発学,開発経済学を学んだのはGSID入学後といえるかもしれません.近年は分かりませんが当時のGSIDは私のような他大学からの進学者に対する間口が広く,多種多様な人材が集まっていたことも大きな特色だったと思います.学位論文の話に戻ると,開発学を学ぶ学生であれば一度は耳にしたことがあるかと思いますが,CGEモデルとは当時の指導教官がはじめて日本に紹介したシミュレーション・モデルです.GSIDでは私のように「その途の先駆者」と称される先生方の指導を直接受けることができます.一方で,所属ゼミからは中国NGOや防災の第一人者など多種多様な人材が巣立っています.ゼミ等を通じGSIDの諸先生方が示された,様々なテーマに対するこの強くて広い「好奇心」は,開発学者の末席連なる今も是非とも見習いたい資質,規範,基準となっており,GSIDがくれた一生の宝だと思っています.もうひとつの宝が世界中に散らばる友人達です.特に留学生はGSIDという同じ釜の飯を食わなかったならば,なかなか知己を得がたい,それぞれの国の中枢を担っている人材が豊富です.「日本のテレビの取材を受けたから」,「サバティカルで再来日したから」,「あれってどうだったけ」,「この本買って送ってくれない」,こんな感じで,彼等とは未だに気軽にコンタクトを取り合える,これもGSIDがくれた一生の宝だと思っています.

課程修了半年後に,現在の大学に赴任し早10年が過ぎようとしています.本学は教養大学なので,これまでも専門の「環境経済学」の他に「経済数学」,「統計学」など基礎科目を中心に様々な科目を担当して来ました.他方,ノーベル賞受賞者の輩出を待つまでもなく,研究総合大学である名古屋大学には経済系の大学院だけでも複数あります.GSIDの修士課程はもちろん,在籍中は多くの同僚と共にそれぞれの必要性に応じ,それら他研究科の講義・演習へも参加しました.数々の基礎科目を担当する上で,そこで学んだ経験が大いに役立ちました.研究面では「地球環境問題」や「環境の経済的価値評価法」等に始まり,「多変量解析を用いた社会調査」や,科研補助を受けた昨年からは「沖縄ツーリズムの持続可能性」に関する研究に着手しています.どうにも統一性のない研究テーマとの印象を受けるかもしれません.しかし,研究の根底をなす諸問の分析ツールは,やはりGSIDで学んだ多変量解析手法やCGEモデルと一貫しています.その上で,様々な問題に「好奇心」を持つ,これもまた諸先生方を通じGSIDで目の当たりに,見習って来た複合(雑)社会問題である開発学の研究者としての心構えだと私は思います.最近ではGSIDの同窓会との錯覚を覚える学会もありますが,Disciplineを踏まえた上で,あくまでも社会的弱者の側に立った研究に従事している同窓生をみるにつけ,勝手ながらその「GSID魂」のようなものに共鳴してしまいます(もちろんこれは,将来の自分を含む自他に対して,これといったDisciplineもなく,悪戯に「共感」のみに訴えることへの警鐘でもあるのですが).

 

CHEN Ching-Li (DICOS, Master's Program 1998, Taiwan)

1995年4月、兵役の義務を終えた私は国費留学生として3年間日本に留学した。1年目は研究生として主に日本語を積極的に学習し、さらに日本の歴史や社会文化などの認識を深めた。翌年、図らずもトップの成績で、国立名古屋大学国際開発研究科(GSID)の国際協力専攻に入学することができ、より高度な授業を受けつつ、研究に熱中した。海外研修では指導教官と大学院生でインドネシアに赴き、環境保全における国際協力のあり方をテーマに1ヶ月のフィールド調査を行ったことが、大変貴重な経験になった。

出発前は先進国の日本における環境保全政策と現状を調べ、途上国でその研究と実態の比較を行った。日本に帰る前にインドネシアの大学で英語を用い、研究成果を発表した。このような訓練は国際視野が広げられただけではなく、アジアの隣国への認識を深められ、英語力の実践にも役だった。 在学中は木村先生の指導の下で、日中関係と援助の歴史を検証し、日本の対中援助の動機を探り、その援助の政治と経済効果を分析した。1998年3月、「日本の対中ODA政策」をテーマに日本語で論文を完成し、Aの評価を得て修士号を取得した。名古屋3年間滞在の磨きで日本語能力試験の一級検定に合格し、日本外交の仕方、日中関係、日台関係などに一定の理解ができたと自負している。

台湾帰国後は、商社マンとして三菱商事の台湾支店で1年間勤務した。その後、縁あってNHK台北支局に転じ、記者職として7年間を満了するに至った。政治、経済、軍事、社会、生活など情報の種類を問わず、ニュース価値があると判断したものに関し多面的な取材と報道作業に携わってきた。勤務時間後に、終戦当時旧日本海軍大尉で今年93歳になる劉元孝先生の私塾に通い、週に3時間、漢文学と候文を8年間学習し続けてきた。劉先生のお蔭で戦前の日本の公文書が読めるようになった。

記者の仕事を通じて人脈を作る以外に、社会科学の幅広い面に触れ合うことも出来た。ニュースレポートの制作はミニ論文の作成と似ている。記者生活の7年間はニュース報道の第一線に立ち、中台関係と日台関係の変化を観察してきた。二年前から職はNHKと同じ公共放送である台湾の財団法人公共テレビ局に移った。所属は策略研究開発部でNHKの放送文化研究所に似ている所で主に日本のメディア事情を研究し、公共テレビ局の経営陣に参考を提供する役割である。

GSIDで学んだことは勤務先が日系企業でない今でも活用されていて、私は心より深くGSIDと木村先生に感謝の意を申上げたい所存である。

(公共テレビ局同僚との記念写真)

 

Wang Ming (DID, Ph.D 1993, China)

1997年3月に博士号を取得した中国人留学生OBの王名と申します。江崎光男教授の指導を受けて、GSIDのDID専攻で4年間の勉学生活を過ごしました。修了翌年の4月に北京へ帰り、清華大学で教鞭を執るようになりました。その年の10月には、北京で中国初のNGOシンポジウムを開き、清華大学NGO研究センターを創設し、初の主任にも就任しました。2001年8月には教授に昇進し、新設の清華大学公共管理学院の副院長にも任命されましたが、2007年5月に二期目の任期満了で副院長を退任しました。

GSIDでNGOに関して興味を持ち始め、名古屋市のボランティア活動に参加した経験もありました。帰国後には、その知識と経験を生かして、中国のNGO研究分野の発展に貢献し、中国NGO研究をリードしています。そうした研究活動のなかでは、初の中国NGOアンケート調査を全土で展開したり、ケース・スタディやフィールドワーク、Oral historyなど、多くの新しい調査手法を活用したりして、中国のNGO研究を強く推し進めてきました。これらの研究活動を通して、『中国の社団改革』、『中国のNPO』(日本語)、『非営利組織管理概論』、『民間組織通論』、『中国非政府公共部門』などの著書を出版してきました。現在、清華大学NGO研究所の所長を務めながら、中国政治協商会議の委員、国務院民政部の諮問委員、衛生部の諮問委員、中国障害者福祉基金会の副理事長など、多くの場で活動をしています。


Mario Joyo Aguja (DICOS, Ph.D 2001, Philippines)

GSID and Beyond

A Tale of an Academic and Political Journey

By Mario Joyo Aguja, Ph.D.

Pilgrimage in the Land of the Rising Sun

Friends popularly called me Mayong, a nom de guerre I used when I was in the student movement actively fighting the Marcos dictatorship. Before coming to Japan I was already a political activist, and a teacher of sociology. I always believe that education empowers, and will liberate us.

I came to Japan as a Monbusho scholar in October of 1994. I was a Graduate Research Fellow at the Graduate School of Humanities and Sociology at the University of Tokyo for 1 ½ years. I later joined the Graduate School of Comparative Culture of Sophia University where I spent two years. For 3 ½ years I was a Tokyo urbanite – enjoying its urban flare and fashion and at the same time benefiting from the intellectual rigor that my former universities could offer. It was a life full of excitement and adventurism, amidst the daily stress that a Tokyo lifestyle brought.

In search for a doctoral program, I learned about GSID. It was winter of 1998 that I first visited GSID – to take the entrance examination. I was excited of the prospect of joining GSID, despite the fact that Nagoya was a little sleepy place compared to Tokyo.

It was in the spring of 1998 that I formally started my intellectual sojourn at GSID. As a DICOS student I had all the time I need to read, reflect and write about the question of development.

I was lucky to have enjoyed three things in GSID – time, excellent resources and facilities, and a nurturing environment for an intellectual growth. Aside from being a frequent visitor and borrower of books at GSID library, I was an endless photocopier of reading materials. I am glad of my academic supervisor, Dr. Kimura Hirotsune, who never failed to guide me in my intellectual journey. He was a very jolly fellow, but rigorous; very helpful and nurturing. My roommates in the study room were not only helpful, but equally passionate in their quest for knowledge. We spent lots of time discoursing about development problematiques in our respective countries, sometimes over cup of sake, in nearby shops. To me, it is one of the natural gifts of GSID- the endless opportunity to interact with fellow students from around the world, and Japanese too. Truly, an excellent environment to learn international development.

GSID offers an opportunity for intellectual growth thru silent competition among international students. One could feel that there was so much pressure from peers not only to be rigorous but equally excellent. When I completed my degree in 2001 and left the portals of GSID, I was confident to face the real challenge of development when I get back home.

GSID was home for me for three years. It was my routine to come to school just after lunch, visit the library, read the papers of the day, and spent the rest of the day reading and writing at the study room. I usually take dinner at the nearby ”shokudo”?. After which I return back to the study room to continue working. It was not uncommon for me to go home at about 4-5 in the morning. Except on a Friday night where I treat myself with a great deep in a nearby sento, at the same time do my laundry in a public laundry, my Saturdays and Sunday were just like any other regular days. Biking was an excellent daily exercise for me. It takes only 15 minutes for me to reach school, compared to my usually one hour train ride when I was in Tokyo. I surely miss my Spartan-like life in Nagoya.

Political Journey in the Pearl of the Orient Seas

As I returned home, I was initiated in politics. I was included in the list of nominees of Akbayan Citizens’ Action Party for the 2001 party list elections. Akbayan is a grassroots based progressive political party. I am a pioneering member of the party and took an active role in its organizing work. I managed to do it in between breaks when I come home to the Philippines either for vacation or research.

With the rest of the party membership, I joined the campaign trail up to May 2001 elections with much enthusiasm. With hard-work, committed party workers, and luck our party won enough votes to send two representatives to congress. However, due to a legal challenge, my proclamation was delayed. It was only in November 26, 2002 that I was finally proclaimed and took my oath of office as member of the House of Representatives during the 12th congress. I was officially referred in congressional records/documents as Hon. Mario “Mayong” Joyo Aguja. I continue to hold the same title during the 13th congress (2004-2007 where our party got enough votes to send three representatives to congress. I joined the human rights activist Cong. Loreta Ann Rosales Cong. Risa Hontiveros-Baranquel, a staunch peace advocate.

With barely 1 ½ years left before my first term in congress ends, I spent my time on issues that matter most to the basic sectors that our party represents – labor rights, agrarian reform, peace, education, globalization and human rights. I traveled around the country to consult with our people, and join them in their struggle and dream for a just and humane social order. I also had opportunities to travel abroad to join global advocacies (e.g. globalization, debt, and Burma campaign) and consult with Filipino diasporas.

The Philippine Congress is dominated by the traditional Philippine elite. Ideologically conscious of protecting their class interests, we always have to fight fiercely for the interest of the majority of the Filipinos - just wages for the workers, land to the tillers, just compensation for the victims of human rights, better education for our children, peace in Mindanao and the rest of the country, fair trade, and fight for a graft free, clean, honest and decent government. We were waging wars in many fronts. However, our activism to seek justice and human rights, the intellectual rigor of our discourses, and our untarnished integrity never failed to impress even our harshest critic in the administration.

The Philippine congress, as an arena of struggle for development in Philippine society, is a draining place to work with, at times very frustrating. For me it is where one needs idealism and principles. Our “preferential option for the poor” which serves as our daily guide sustains our activism; our immersion in the daily struggle of the common people gives us inspiration and energy to face the insurmountable challenge.

I am proud of my political journey. I am proud to have honorable served our people. Aside from sponsoring important national legislations (such as the abolition of death penalty, juvenile justice law, strengthening the constitutional right to self-organization of workers, and the regulation of the deployment of overseas Filipino workers, among others) I was able to contribute in bringing into the center of national public debate issues such as the war in Mindanao, corruption in the education department in the Autonomous Region in Muslim Mindanao, the demolition of the thousands of urban poor families in the metropolis without regard to their rights, and the disadvantages and unconstitutionality of the Japan-Philippine Economic Partnership Agreement or JPEPA.

I am honored to have been part of the national history of calling for decency in government at the highest office. I am proud to have voted against the proclamation of Gloria Macapagal Arroyo as president of the Philippines for the fraud she committed during the 2004 elections. The “Hello Garci” controversy will be a ghost that will haunt her for the rest of her term as president. In the midst of “gift giving”, pressure politics and danger I and my party mates are proud to have joined the initiative to impeach the president “for betrayal of public trust,” not only once but twice. Yes, we failed in our attempts as congress was dominated by the allies of the president, but the president never recovered her popularity since then. The House of Representatives suffered the same faith. More and more members of the public continue to question her integrity and capacity to govern, and lead the nation. As PGMA will end here term in 2010, hers will be remembered as a failed presidency.

After two terms in Philippine congress, I decided not to seek my party’s nomination for the 2007 elections. I need to be home and share much time with my family while the childhood of my children is still there. During my intellectual journey in Japan and my political journey in Philippine congress, my family preferred to stay at home in General Santos City. Our separation seemed to be ages. I am now finally HOME, and back to teaching. I know there’s a lot I can share to inspire my students to persevere and develop a strong sense of commitment to development work. My political activism continues. A new journey begins.

Message to the New Generation of GSID students

GSID is an excellent venue that offers opportunity for the young to develop an excellent career and a better future in the field of development. However, GSID can only offer opportunities. One needs to seize it and make it meaningful. Make the best of it. Others will not have an opportunity to enjoy it. Let it be a real intellectual pilgrimage. As to myself, GSID never failed to prepare me for the challenge of public service, to which I am always grateful and forever indebted.

But it is not how much we learn, or read, or write, but how we develop our capacity for deeper reflection about the plight of the poor. Development is politically real. If we cannot be moved by the injustices committed against the poor, and cannot show solidarity in their daily sufferings, then the word DEVELOPMENT becomes meaningless. It is only by so doing that GSID becomes fulfilled in its mission as a real Graduate School of International Development.

Truly, development is such a life long journey.

(Mario Joyo Aguja, second from the right.)

MIYAMOTO, Setsuko (DICOM, Ph.D 1998, Japan)

1998年3月、私は博士課程を修了した。国際開発研究科国際コミュニケーション専攻に提出した学位論文は「マルチメディア学習環境における相互交渉性に関する研究-外国語教育を支援する要因の探求を中心として-」であった。すでに40代半ばに差し掛かっていた私は最短の2年に挑戦した。最後の半年は論文以外のことが記憶にないほど打ち込んだ。そのため一瞬一瞬の場面を映画のように覚えている。テーマはそれ以前10年積み上げてきた研究の発展と集大成であり、経済的には苦しくても研究に集中できることが楽しかった。

現在は修了と同時に着任した兵庫県立大学環境人間学部の教授である。この10年は新領域を模索する波乱の連続であった。そもそも環境人間学なるものが手探りであり、にも関わらず教育を行い業績も上げなければならない。本学部では地域貢献も重要だ。姫路市の国際交流事業の参画、兵庫県広報課との若者広報パートナーシップ事業、県民局の地域づくりと多様な取り組みを行っている。マルチメディア教材開発で必要に迫られ学んだ著作権であったが、ひょうたんから駒のごとく、その教育モデルは兵庫県教育委員会事業として発展し、ワークショップはNHK教育TVで放送された。3年目の今年はついに『創って学ぼう著作権~先生と生徒の協同学習・兵庫の記録』が出版された。研究では、科研(L2読解時のストラテジー)で得たアイカメラを使って、建築、景観形成、情報工学の同僚と視線行動研究会を開始した。文理融合、複合領域の知を結集する議論がやっと楽しくなってきた。新しい人生の扉は「叩けば開かれる」。アカデミズムは今、社会のニーズを柔軟に吸収することを求められている。新しい世界に挑戦してもらいたいと思う。

HARA, Yasuko (DICOS Master's Program 1996, Japan)
MAEKAWA, Kyoko (DID Master's Program 2003, Japan)

皆さま、初めまして、特定非営利活動法人ソムニード(事務局本部:岐阜県高山市)に勤務する原康子と前川香子と申します。原は、1996年に国際協力専攻を、前川は、2003年に国際開発専攻の修士課程を修了しました。GSID在籍期間は異なりますが、私(原)が、同じGSIDの修了生である前川がソムニードに就職を希望していると聞いたときは、嬉しい驚きでした。

原は2001年から、そして前川は2005年から、南インド、アーンドラ・プラデッシュ州ビシャカパトナム市のソムニード・インド事務所に配属され、農村部と都市部でのコミュニティ開発に従事しています。原も前川も、ソムニードの海外事業担当として、コミュニティの現実(リアリティ)に迫るフィールドワークの手法と住民をパートナーとしてコミュニティ開発に携わるものに必須の技術であるファシリテーションの指導を、徹底的にソムニードで受けてきました。

農村部の事業では、水源地近くの山岳少数民族の村々を、都市スラムでマイクロ・クレジットに関する事業では、スラムの女性グループに、毎日のように足を運びます。GSID在学中、前川の指導教官の岡田亜弥先生に問われた「貧しさをどう測るのか?」、また原の指導教官の重松伸司先生がおっしゃっていた「農村の問題はすべて“水”に凝縮されている」とは?、そして、「そもそも開発とは一体誰のものか?」などなど、在学中に知識として得たことが、今、ようやく実態を持ったものとして理解できるようになってきたところです。(原、前川の担当する事業報告は、ソムニードのブログhttp://somneed.seesaa.net/にPDF形式でアップされていますので、ご覧ください。)

GSIDでは、開発における日本の役割も取り上げられていますが、ソムニードでは、日本国内(飛騨地域)でもコミュニティ開発を実施しており、海外事業と国内事業が連携しています。 事務局本部が、GSIDと同じ中部地方にあることからも、今後も、GSIDとの人・情報の連携を期待しています。ソムニードでは、高山やインドで、コミュニティ開発に関する研修の実施、そしてインターン募集もしていますので、ご関心のある方は是非、ソムニード事務局(www.somneed.org)まで、お問い合わせください。


ソムニード・インド事務所にて(インドAP州ビシャカパトナム)


ソムニードの農村部での小規模水利管理事業で(AP州スリカクラム)


ソムニード都市スラムでのマイクロクレジットグループ支援事業(AP州ビシャカパトナム)

 

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